The History of Ownership

The Origin

『シナーラ』は英国の大手造船会社によって建造され、「グウェンドリン」と命名されて進水しました。その造船所は、エリザベス女王の「ブラッドハウンド」をはじめ、王室のヨットも生み出した由緒ある造船所でした。『シナーラ』の初代オーナーは「世界最高峰の帆船を作ること」を熱望し、彼らは資材調達に10年を要したといいます。

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時代は、英国におけるヨット建造の歴史の絶頂期でした。1920年代の終わりごろには、貴族も実業家もおのおので社交の場を設けようと、こぞってヨットを新調しました。また、ワイト島で開催される人気のヨットレース『カウズ・ウィーク』のような有名なイベントに参加できるようにと、ヨットの建造を注文したオーナーも数多くいました。そうしたイベントへの参加は、上流社会の一員である証となったからです。

英国王ジョージ5世が自分の所有するヨットを積極的にレースに参加させていたので、その友人たちも皆自然とレースに参加するようになりました。国際レガッタでも多くのヨットが熱戦を繰り広げ、経験豊かなヨット愛好家たちは競争力を維持しようと、2年ごとにヨットを注文することも珍しくありませんでした。

『シナーラ』を設計したチャールズ・ニコルソン氏は、当時の英国で5本の指に数えられるほどの人気を誇ったヨットデザイナーで、裕福なヨットオーナーたちに「ぜひとも自分のヨットを注文したい」と憧れの的でした。また、この会社が英国ヨット文化の中心地であるソレント海峡に位置していたことも選ばれる理由でした。

The Launch

この優れたケッチ型ヨットは、ロイヤル・テムズ・ヨットクラブのメンバーだったH・G・ナットマン氏の注文によって建造されたものですが、進水するより前にはロンドン在住のデンマーク人実業家、V・G・グラーエ氏に売却されました。グラーエ一族はデンマークのヨット愛好家グループと深く交流し、デンマークの王室とも密接な関係をもっていました。このグループは、カンヌのレガッタ・ロワイヤル(ヨットレース)の創設と発展に寄与したものと考えられています。ヨットは1927年3月7日に、英国サウザンプトン近くのゴスポート・ヤードから進水し、進水式の模様は地元紙「ハンプシャー・テレグラフ」に掲載されました。

HAMPSHIRE TELEGRAPH
FRIDAY 11th MARCH, 1927.

IN HER ELEMENT.  NEW AUXILIARY KETCH LAUNCHED AT GOSPORT.

 

The consummation of several months of work was reached at Messrs Camper and Nicholson’s yard on Monday when an auxiliary ketch rigged yacht, of 114 tons, built to the order of Mr. H. G. Nutman, was launched. The vessel, which was designed by Mr. Charles Nicholson. A fine specimen of modern yacht architecture, being up-to-date in its general design, accommodation, and equipment. She has an elm keel, with oak stem, sternpost, counter timber, deadwoods and frames. Her planking and deck are of teak, and her beams of oak. The floors are of heavy wrought iron. The accommodation on the ketch consists of a large owner’s stateroom, which is arranged on the starboard side, aft of the saloon There are two single staterooms and one double stateroom, with a bathroom for guests. The saloon is a comfortable and roomy one, and the accommodation generally, is finished in polished mahogany. There is ample room for the crew in the forecastle. and the captain has a separate cabin. The auxiliary engine is a four cylinder, 60-horse power, sleeve valve kelvin paraffin motor. The engine is enclosed in a steel-plated compartment and the drive to the propeller is direct. The yacht’s main dimensions are, length over all. 96ft.: length between perpendiculars. 80ft. beam 18ft. 8in; draft.; 10ft 3in. The yacht will he rigged with a gaff mainsạil, with a jib-headed mizzen. She will carry a mahogany motor launch and also a dinghy. The vessel was started on her way down the slip by Miss Nutman, daughter of the owner, who was accompanied by Mrs Nutman. The vessel was christened Gwendoline. Within half an hour of the launch the main mast and mizzen were stepped and the bowsprit fixed. The Gwendoline is to be placed into commission as soon as possible.  

Gwendolyn to Easy Going

グラーエ氏はこのヨットを「グウェンドリン」と命名してコペンハーゲンで登録しましたが、3年後の1930年には、ハーバート・W・ウォーデン氏に売却しています。ウォーデン氏はニューヨーク・ヨットクラブ会員の米国人で、今度は「イージーゴーイング」という船名に変えて、フィラデルフィアで登録しました。

Easy Going to Cynara

1932年、ヨットは再び大西洋を横断します。ウォーデン氏が、ロンドン在住で英国不動産業界の有力者であるハワード・フランク卿に、このヨットを売却したためでした。フランク卿はヨットの名を現在の『シナーラ』に変更すると、ポーツマスで登録し、その後まもなく世を去りました。

The Marquess of Northampton

1933年、次に『シナーラ』を買い取ったのは王立ヨット艦隊の一員だったノーサンプトン侯爵でした。侯爵はその後25年にわたってこのヨットを所有していますが、この期間についての情報はわずかしか残っておりません。ヨット・デザイナーとして著名なウファ・フォックス氏の1937年の著書『レーシング、クルージング、デザイン』には、コロネーション・レガッタでポーツマスのサウスシー海岸からトーベイまでのレースに『シナーラ』が参加していたという記録が残されています。このレースには51艇が参加し、『シナーラ』はクラス1で2位を獲得しました。

The Sexy Sixties

1958年に『シナーラ』の所有権はある法律事務所に移りました。

続いて1964年にロイヤル・ロンドン・ヨットクラブの別の会員の手に渡ったのち、1965年に英国の花形カーレーサー、ダンカン・ハミルトン氏が、8000ポンドで購入しました。そして『シナーラ』の船体は黒から白に塗り替えられ、数年にわたってモナコに係留されることになります。当時10代後半だった息子のエイドリアン・ハミルトン氏は、「1965年のモナコグランプリ開催中に華やかなカクテル・パーティーが催され、グラハム・ヒルやジャッキー・スチュワートなどの有名なF1レーサーが船上の賑わいに加わっていたのを思い出す」と語っています。この期間に『シナーラ』はハリウッドまで遠征して、1966年公開のトニー・カーティスとザ・ザ・ガボール主演映画「アリベデルチ・ベイビー」 の撮影にも加わりました。

The Carribean Days

ハミルトン氏は『シナーラ』を3年ほど所有したのち、1968年にバミューダ諸島のウォーレン・イブ氏に売却しました。若き船員だったマイク・マクミラン氏が甲板員としてクルーに加わったのはこの時期で、1年後には船長になります。それから5年の間、『シナーラ』は米国東海岸とカリブ海を航海するとともにヨーロッパにも渡り、1972年のミュンヘン・オリンピックでは大会を盛り上げるセーリング・イベントに参加しました。

The Voyage to Japan

『シナーラ』の次の航海の目的地は日本です。マクミラン船長は、日本人9人を含む13人のクルーとともに新たな母港を目指すよう依頼されました。1973年1月27日、英国のリミントン・ヨットハーバーを出港した『シナーラ』は大西洋を渡り、カリブ海を横切ると、パナマ運河を抜け、さらに広大な太平洋横断に臨み、大小さまざまな島に寄港しながら195日におよぶ航海を経て、同年8月10日、三浦市の三崎港に入港しました。『シナーラ』は日本に到着した後、北は北海道から南は沖縄まで、さまざまな港を巡る航海を続けてきました。その間、日本ではまだ珍しかった船上パーティーやテレビのロケ、雑誌の写真撮影の舞台としても話題になりました。13週にわたってテレビで特集されたこともあります。

Life in Japan

リビエラグループが2001年にマリーナを事業継承したと同時に、この素晴らしいヨットの所有権を獲得。以来、リビエラの理念の1つである「古き良きモノを磨き上げ次の時代へ」に基づき、磨き上げ(その整備と保存)に多くの時間と労力を注いできました。90年の波濤に耐え、紆余曲折を辿ってきた『シナーラ』は、建造時の栄光を取り戻すための大規模な修復作業を実施するべき時期が来たと確信したのです。

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